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昭和60年の永井町の山腹崩壊

昭和60年(1985)7月2日の大雨で水井町の県道大井~中島線で山腹が崩壊し、約200立方mの土砂が道路を埋めた。 続きを読む

昭和29年の豪雨

昭和29年(1954)7月31日、豪雨により櫛渕の湯谷山が崩壊した。 続きを読む

明治27年の水争い

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明治27年(1894)、大干ばつのため、7月19日午前1時頃、竹原堰の下流にある大井手堰の組合員千人余が舟路の浚渫という名目で、竹原堰を縦断して400間にわたり幅5間、深さ3尺の水路を作り、竹原堰の水を横取りした。このため、翌20日には大井手堰と竹原堰の両組合... 続きを読む

昭和49年の台風8号

昭和49年(1974)7月6日、台風8号により家屋浸水、土砂崩れ。 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつ。 続きを読む

慶応2年の板川(いたご)の崩壊

慶応2年(1866)8月6日、寅年の大水により、板川(いたご)谷左岸の山が崩壊し、土石流で田が埋まり、牛小屋と牛がつぶされた。堆積土砂の跡は「カワラ」と呼ばれている。昭和63年に行われた寺戸恒夫先生等による現地調査の結果が記載されている。なお、同日に湯谷の中山... 続きを読む

享保10年の干ばつ

享保10年(1725)、大干ばつ、蝗害。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)、干ばつ。 続きを読む

文政4年の干ばつ

文政4年(1821)、大干ばつ、83日続く。 続きを読む

寛永3年の山崩れ

寛永3年(1626)、大雨による山崩れで、神宮寺所有の向屋敷、はら、城の下1反2畝が永荒となった。 続きを読む

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