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明治15年(1882)8月23日、うち続く干天のため、水の困窮した綾歌町岡田地区と満濃町長尾地区の百姓が衝突した。両地区に分水する薬師堰には、「おじょも岩」の分水慣行(おじょも岩側面の刻線の高さと堰の水面の高さが水平になるように分水する慣行)があるが、長尾側が... 続きを読む
宝暦5年(1755)、高松藩記にも「夏旱」(なつひでり)と明記されるほどの干ばつのため、夫婦湧出水に関する水論が起きた。大川(土器川)の東岸の羽間新田の農民が新井手を掘りつけ、横井をせき立てて水掛かりを良くしたところ、夫婦湧出水の水掛かりである西岸の四條・高篠... 続きを読む
文政4年(1821)、日照りのため、6月10日榎井・東西苗田三村の百姓が、炭所西の常包横井を切り崩し、23日には大向荒川横井及び大宮荒川横井を切り崩したことから、水利紛争が起こった。 続きを読む
大正11年(1922)6月20日以来、与北側と垂水側で藤兵衛股をめぐって小競り合いががあり、7月1日に暴発した。藤兵衛股では分水俵が設けられ、分水比率は与北側6、垂水側4であったが、分水俵の向き加減から起こった衝突であった。 続きを読む