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安政元年(1854)11月5日夕七ツ半時より地大に震う。家屋が倒壊し、多くの人は竹林中に避難す。暮六ツ時に至りて、津波が襲来して家屋を浸潤する処あり。 7日四ツ半また大に震う。その後12月2日まで震動止まず。 続きを読む
明治38年(1905)6月2日14時39分、安芸灘を震源とする芸予地震が発生し、松山市周辺で震度5、その他の県下全域で震度4を記録した。この地震で、愛媛県では負傷者17人、家屋の全潰8戸、半潰53戸、破損235戸、煙突破損16箇所の被害を受けた。(「日本災害地... 続きを読む
明治42年(1909)11月10日15時14分、足摺岬南方でM7.9の日向灘としては最大級の地震が発生した。宮崎市付近の被害が大きく、大分県以南の九州、四国、広島、岡山県などでも被害が出た。 続きを読む
昭和6年(1931)11月2日3時53分にM6.3の地震が、また19時3分にM6.6の日向灘を震源とする地震が発生した。宮崎県で被害が大きかった。宇和島の震度は3で、被害は少なかったようである。別府湾から南へ200kmにわたり発光現象があり、海の方向に見たとい... 続きを読む
慶安2年(1649)2月5日、伊予灘を震源とするM7.1の地震が発生した。三瓶町の震度は6程度で、当町の地震としては最大規模のものであったと推定されている。「寛明日記」によると、松山城では石垣20間、塀30年余が崩れ、宇和島城では石垣116間、長塀780間が破... 続きを読む