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文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日より15日まで、地大いに震い、損害多し。(「大日本地震史料(松山概要)」による) 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、震災のため、周桑郡北条村(現壬生川町)にあった鶴岡八幡神社の社殿が悉く陥没した。(「伊予温故録(鶴岡八幡神社記録)」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日及び7日、松山大地震。家中並びに郷町の被害は、本丸の石垣孕2箇所、塀・屋根・瓦・壁落、二の丸の塀・屋根・瓦・壁落、石垣孕1箇所、道後村温泉絶、翌年2月末より温泉が再湧出。(「松山叢談(池内家記)」による) 続きを読む

慶長元年の地震

慶長元年(1596)7月12日、豊後の地大いに震い、府内近傍は津波の襲う所となった。瓜生島の大部は沈下して海水に被われ、死者708人を出した。(「大日本地震史料」による)松山市余土の薬師寺では、大地震により、本堂仁王門が崩れたと伝えられている。(「伊予温故録(... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰下刻、松山大地震。(「松山叢談(池内家記)」による)強震続くこと七昼夜、地元民は兢々として家を閉じて竹林に避難した。(「新居郡誌」による) 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、東海、南海、西海の諸島地大いに震い、大津波を伴い、土佐及び阿波宍喰で溺死するもの夥し。(「大日本地震史料」による)伊予の文献はないが、当然相当の影響があったと推測される。 続きを読む

明治38年の地震

明治38年(1905)6月2日、震度5の地震があり、松山、温泉、越智、伊予の各郡で被害。震央地は安芸灘。(気象台資料による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れのため泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止む。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

明治40年の地震

明治40年(1907)8月7日、豊予海峡を震央とする地震により、西宇和郡で強震被害あり。(気象台資料による) 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により、温泉塞がる。松山城主蒲生忠知命じて湯神社で祈祷した。(「松山叢談」、「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

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