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昭和6年(1931)11月2日3時53分にM6.3の地震が、また19時3分にM6.6の日向灘を震源とする地震が発生した。宮崎県で被害が大きかった。宇和島の震度は3で、被害は少なかったようである。別府湾から南へ200kmにわたり発光現象があり、海の方向に見たとい... 続きを読む
慶安2年(1649)2月5日、伊予灘を震源とするM7.1の地震が発生した。三瓶町の震度は6程度で、当町の地震としては最大規模のものであったと推定されている。「寛明日記」によると、松山城では石垣20間、塀30年余が崩れ、宇和島城では石垣116間、長塀780間が破... 続きを読む
昭和16年(1941)11月19日、日向灘でM7.4の地震が発生し、宇和島で震度4、南予一帯に多少の被害があった。津波が日向灘沿岸を襲ったが、宿毛で最大波高1mで、船舶に若干の被害があった程度であった。 続きを読む
寛文2年(1662)9月20日子刻、日向灘を震源とするM7.6程度の地震が発生し、日向沿岸に被害をもたらした。古記録ではいわゆる日南海岸を中心に被害が多く著されており、三瓶町の被害は不詳。 続きを読む
昭和19年(1944)12月7日13時35分、南海トラフ東部でM8.0の東南海地震が発生し、津波により静岡、愛知、三重を中心に被害が集中した。震源からの距離に関係なく、沖積地、埋立地で被害が大きかった。地動は比較的緩やかで、家屋倒壊までに1分間くらいの余裕があ... 続きを読む
貞享2年(1685)12月10日、安芸灘を震源とするM7.0の地震が発生し、安芸で潰家が多く、伊予でも被害が続出した。道後温泉は泥湯を出し、大洲地方の揺れは甚だしかった。三瓶町でも震度5以上の揺れがあり、家屋、施設などに被害があったであろうと推定される。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日4時19分、潮岬南方の南海トラフで南海地震が発生し、津波を伴い、被害は中部地方から九州に及んだ。愛媛県の被害は死者96人、負傷者32人、住家の全壊155戸、半潰425戸、家屋の浸水320戸等を記録した。三瓶町では震度4で、震害... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、潮岬南方を震源とするM8.4の地震が発生し、それに伴い津波も発生した。愛媛県内の記録は極めて少ないが、宇和島の「伊達図書館蔵古書書抜」によると、御城内は所々破損し、田503町余、高7,273石、家等が破損・流失し、死人8人、半死... 続きを読む
昭和43年(1968)4月1日9時42分、日向灘でM7.5の地震が起こり、津波が発生した。三瓶では震度4であった。陸上の被害は高知・宮崎県で大きかったが、愛媛県では南予を中心に津波により港湾施設の床上浸水や、真珠いかだ・ハマチ網などの養殖漁業施設の被害が出た。 続きを読む