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慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、東海、南海、西海の諸道地大いに震い、大津波を伴い、土佐及び阿波宍喰にて、溺死するもの多し。(「大日本地震史料」による)当地域に関する文献はないが、当然相当の影響があったと推測される。 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月7日、大地震、品川櫓石垣その他痛む。 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日午後5時頃から空前の大地震が起こった。大西藤太の「大地震荒増記」には、夕食の支度をしたり、食事をしている最中に大地震が起き、人々は年寄りや子どもの手を引いて、大急ぎで広い場所に逃げた様子が記されている。この地震で町内で家2軒、中村... 続きを読む

安政4年の地震

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安政4年(1857)8月25日午前9時、大地震に見舞われた。余震が続いたため、人々は小屋住まいであった。大洲城内の被害は大きく、西の門辺りは道が裂け、御門台は2尺下がり、石垣は過半崩れた。倒れた土蔵もあり、城門廻り御櫓、高欄櫓、台所櫓は大破し、手間塀のくずれも... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海道地震。 続きを読む

昭和43年の宇和島沖地震

昭和43年(1968)8月6日、宇和島沖地震により、肱川中学校と予子林小学校で被害。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、M8.4の大地震が発生した。「富永家文書」によると、この地震で川向かいの大岩が動き、大石が川の中に落ち込み、家の中では棚の物が落ちるなどした。余震が11日まで続いたため、外に畳や戸板を出し、小屋をこしらえて仮住居にした人も多くい... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海道大地震。(「肱川村役場日誌」による) 続きを読む

昭和43年の宇和島沖地震

昭和43年(1968)8月6日、宇和島沖地震。昭和43年度の災害計14件、復旧事業費2,014万円。(「行財政報告書」による) 続きを読む

昭和43年の宇和島地震

昭和43年(1968)8月6日、豊後水道震源とするM6.6の宇和島地震により、県内各地で負傷者、建物被害、地割れなどが発生した。双海町では75戸が停電。 続きを読む

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