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文禄5年の地震

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文禄5年(1596)7月9日、震災により、鶴岡八幡宮の神殿、宝物殿、神器、記録など大半が地中に没した。このため、もともとあった北条鳥縄地区から現在地に遷座して社殿が復旧された。 続きを読む

昭和12年の地震

昭和12年(1937)2月27日、安芸灘地震。 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月5日、大震災により、海上荒れて大波打ち寄り、御津野名の田畑と人家が流失し、死者が多く出た。その荒れた土地を、領主加藤嘉明の命により、奉行徳本三郎兵衛が開墾した。 この土地は、寛永2年(1625)3月18日、再度震災を受けたが、その後... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海大地震。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、東海道から南海道で大地震と津波が起こった。多賀村の人への被害は不明であるが、新田地区の地盤沈下のため堤防の決壊は大被害をもたらした。 続きを読む

慶長元年の地震

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慶長元年(1596)7月9日、大地震が発生し、広江村は地盤沈下のために西南にある高燥な現在地に集団移住した。(「密林山徳蔵寺由来記」による)また、鶴岡八幡宮は、地震のため神殿、宝蔵、神器、記録などが地中に没したため、現在地に遷座して社殿を復旧した。(「多賀村郷... 続きを読む

宝永7年の高潮

宝永7年(1710)、高潮により新田地区は壊滅的打撃を受け、新田17町余は数年間農作物の収穫は皆無であったという。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、東海道、畿内、南海道で大地震と津波が起こった。当領内の家や人畜の被害は不明であるが、下三村の干拓新田は地盤沈下と堤防の傷みで大きな被害を受けた。 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日、当地にとって未曾有の大地震が起こった。余震が3ヶ月続いたと「小松藩会所日記」は伝えている。地震により死傷者はなかったが、海岸部で地盤の弱い北条村では家屋などの破損34箇所、地割れによる液状化現象等100箇所、堤防・用水路など... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日、やや強い地震が起き、翌5日に伊予にとって未曾有の大地震に襲われた。「寅歳の大地震」と呼ばれた。余震は約3ヶ月間続いた。高鴨神社神主の日記には、小松町の恵比須宮の鳥居が倒れ、玉之江村南の春宮の鳥居もなびいたことなど、地震から約3ヶ... 続きを読む

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