検索結果

29860件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、地震(M8.4)により、道後温泉湧出停止(145日間)。松山藩主久松定直公、道後湯神社に祈祷仰付く。 続きを読む

安政元年の南海地震

image

嘉永7年(1854)11月5日の地震により、松山城天守閣の石垣が2箇所ふくらみ、本丸では平野屋根の瓦が落ち、壁にも被害が出た。家中屋敷では全半潰20軒、土蔵の全半潰17箇所、下級藩士の家では全半壊114軒、町方の家屋では全半潰68軒、百姓家の全半潰1,273軒... 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日、地震発生(M6.9)。松山でも被害が多かったようだが、詳細不明。 続きを読む

明治38年の地震

明治38年(1905)6月2日午後2時40分烈震により、家屋、松山紡績煙突倒壊。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、地震(M8.4)により、松山城内破損、領内被害住家・非住家計2,500軒余。 また、11月7日にも地震(M7.3~7.5)が発生し、道後温泉が105日間湧出停止。 続きを読む

昭和43年の日向灘地震

昭和43年(1968)4月1日朝9時42分、松山市で震度4の地震があった。銀天街のガラスのショーウインドーが割れたり、城山のリフトが停電となり、利用客が宙づりになるなど、地震になれない市民を驚かした。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、地震(M7.25)により、松山で門、塀、古家倒れる。知行100石につき15俵の割合で出米を集め、御下米とした。 続きを読む

推古13年の地震

推古13年(605)、地震。 続きを読む

明治38年の芸予地震

明治38年(1905)6月2日、芸予地震(M7.25)により、松山市、温泉・越智・伊予各郡で負傷17人、家屋全壊8戸、半壊58戸、被損235戸などの被害が出た。 続きを読む

推古36年の地震

推古36年(628)、地震。 続きを読む

1 2,955 2,956 2,957 2,958 2,959 2,960 2,961 2,962 2,963 2,964 2,965 2,986