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嘉永元年の台風

嘉永元年(1848)、大暴風雨。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

大正7年の山火事

大正7年(1918)春、北方の苔谷山で100町歩余り焼き、被害が甚大であった。 続きを読む

寛政9年の火災

寛政9年(1797)、南方村の百姓の納屋から出火し、40戸の家屋に延焼した。 続きを読む

昭和29年の台風

昭和29年(1954)9月の台風により、本村被害甚大。家屋の全壊7軒、半壊8軒、その他学校民家の屋根瓦の飛散多数、稲作、村有林倒木等の被害があった。 続きを読む

昭和25年のキジア台風

昭和25年(1950)9月、キジア台風により、稲作は大被害を受けた。村の生産目標の2割5分、また風害に誘発された病虫害を加えて、村の耕地の4割4分が被害田となった。 続きを読む

昭和21年の洪水

昭和21年(1946)、前年の洪水による表川の堤防復旧が完成しないうちに、豪雨があり、堤防が流失した。このため、前年分と合わせて、流失田は60町歩になった。 続きを読む

大正11年の降雹

大正11年(1922)11月、稲の完熟が遅れていたところ、蚕豆大のひょうが降り、稲籾は脱粒し、収穫は半作くらいになったという。 続きを読む

明治29年の豪雨

昭和29年(1896)10月、稲の完熟期に豪雨があり、午後3時頃に北方海上地区の三嶋神社裏の重信川左岸が150m程切れた。重信川の本流は猪之窪、せんだの窪を経て、西古市東の低部から南方の森地区を流れ、相の川から表川に至る田も稲も流失し、その流域40町歩は全くの... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)5月20日から7月上旬まで雨降り止まず、次いでウンカが発生した。物価が騰貴し、飢饉となり、享保17年11月19日に藩が幕府出した届け出によると、餓死者は3,489人に達した。伊予郡筒井村の農夫作兵衛が麦嚢袋を枕に餓死したのはこの年9月23... 続きを読む

文化11年の洪水

文化11年(1814)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

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