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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む
昭和21年(1946)7月、出水により、拝志堤防1箇所、南吉井堤防1箇所が決壊し、濁流が耕地を襲った。昭和18年、20年、21年と続く災害に、地元住民は強固な堤防の築造を中央に請願し、災害国補工事として認可され、昭和22年2月に着工した。 続きを読む
昭和20年(1945)10月10日、鹿児島県阿久根に上陸した台風は、瀬戸内海を斜断して山陰沖に出た雨台風であった。松山測候所によると、10日には7日以来の総雨量が308ミリに達していた。重信川は、昭和18年7月水害により決壊した堤防の復旧中であり、復旧工事中の... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日までの4日間、豪雨が降り続き、その雨量は松山で540ミリ、川上で800ミリに達した。この豪雨により重信川は増水し、23日午前9時に北伊予村徳丸の左側堤防が、続いて拝志以下6箇所の堤防が決壊し、濁流は拝志村、荏原村、北伊予... 続きを読む
大正12年(1923)6月15日より雨降り続き、諸川で出水。23日には晴れるが、7月に入りまた霖雨となり、時には落雷、豪雨により、田、川、平原の区別なく濁水が氾濫した。7月11日には、小野川の80歳の老人が未曾有と語るほどの出水となり、小野川橋が破損して鉄道が... 続きを読む
大正元年(1912)9月23日、昨日来の雨により、重信川、石手川の所々で決壊し、余土、垣生は惨状を呈する。南吉井村も牛淵の南堤防など数箇所で決壊し、田園家屋の流失少なからず。この時、南野田の主要水源・龍沢泉が埋没。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治40年(1907)7月10日、昨夜来の雨により、重信川大いに出水。午後、牛淵の南堤防決壊し、稲田を流失させたが、多くの人が出て防御して大害にならずに済んだ。11日夜、昨夜来の雨が激しくなり、牛淵南堤防が破壊されたため、主に南野田の人がみな出て防御したため大... 続きを読む