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明治21年(1888)7月31日、洪水により、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、人家78戸が押し流され、26人が亡くなり、560余人が住家を失う被害が発生した。覚円地区の住民は、県による引堤工事の遅延と、内務省が施工した沈床工が... 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水。徳島市国府町の蔵珠院の板戸には洪水痕跡が残されている。同寺の過去帳によると、痕跡は座上2尺で、檀家32人が溺死したという。山門前には洪水痕跡碑が建立されている。 続きを読む
平成17年(2005)9月7日、台風14号により、吉野川の最大流量は池田で約9,600立米/秒、岩津で約13,800立米/秒となった。人的被害はなかったが、池田町から美馬市にかけての吉野川上流では浸水面積266ha、床上浸水15戸、床下浸水62戸、阿波市から徳... 続きを読む
慶応2年(1866)8月1日から昼夜を分かたず降り続いた大雨は、7日夕方ついに未曾有の大洪水となった。これが今も洪水史に残る「寅の水」である。徳島市国府町の蔵珠院には、洪水痕跡が残されている。茶室や板戸に残された染みは床上浸水2尺に及び、被害状況を記録した過去... 続きを読む
宝暦6年(1756)、吉野川で大洪水。牛島村(鴨島町牛島)は大洪水に見舞われ、岸之上に築いていた堤防が崩れるほどの大被害となった。途方に暮れる村人の姿を見て、徳島藩士・稲垣監物は藩の許しが得られない中、自らの判断で村中の農民を集めて密かに堤防を築いた。堤防が完... 続きを読む
大正元年(1912)9月23日、台風が南海上から徳島の海岸部をかすめて阪神地区に上陸したため、徳島の最大風速は北西の風16.7m/秒にすぎなかったが、徳島の降水量は551ミリに達した。台風最接近時には大波が打ち寄せ、高潮被害も発生した。徳島平野は一面泥の海と化... 続きを読む
大正元年(1912)、吉野川で洪水があった。その洪水の痕跡を示した石柱が山川町に残されている。石柱の側面には8尺7寸と刻まれており、この付近で約2.6m浸水したことを伝えている。 続きを読む