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享保17年(1732)閏5月10日、雨が打ち続き諸川で出水、郡役人その他がそれぞれ水防場所に罷り出る。久米郡和泉村の池等が所々損壊、温泉郡畑寺村大洲原池堤が切れる。その他川筋では大損害はなかったが、堤が切れ田に砂入、水押数々あった。(「松山叢談(西岡家記)」に... 続きを読む
享保17年(1732)5月上旬より霖雨降り続き、6月に入っても止まず、7月上旬に漸く晴れ間を見せた。60日間にわたる大雨で領内一帯の河川は皆氾濫決壊し、天候不順のため、7月以来は浮塵子の大発生に至った。享保17年の伊予郡松山領内の米の収穫は合計21石に過ぎなか... 続きを読む
享保20年(1735)4月23日~26日、昼夜雨止まらず、出水、洪水大なり。(「伊予風水害小史(宇和島御記録抜書)」による)/4月24日、26日、肱川で出水、大洲で水位26尺。(「大洲警察署記録」による)/4月及び7月の2回の風雨、損毛15,000余石。(「伊... 続きを読む
元文元年(1736)5月、6月、7月の3回洪水あり、損毛22,000余石。(「伊予風水害小史(宇和島御記録抜書)」による) (註)日本気象史料によると、5月は実の、備前、播州、津和野、但馬、若狭、肥後、長岡等に、6月は庄内、越後、大阪、岡山等に大雨・洪水の史料... 続きを読む
元文元年(1736)5月、8月16日~18日、洪水、損毛23,000余石。(「伊予風水害小史(宇和島御記録抜書)」による)/8月及び12月、水害。(「伊予風水害小史(宇和島吉田両藩誌)」による) (註)いずれも傍証なし。殊に12月の水害はいかなる現象かと疑問。 続きを読む