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平成2年(1990)10月8日午前10時頃、鳴門市北灘の国道11号で落石災害が発生し、17人の死傷者(死者3人)が出た。落石防止柵のコンクリート天端より比高差63m(斜面長約100m)上方の民地斜面に位置する和泉層群の崖の一部岩塊が崩落し、高松方面に向かって進... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波被害が発生した。近年、津波防災施設が整備されてきたが、防災施設の形態は過去の南海地震時と比べて変化しており、これらの施設が次の南海地震津波による人的被害に及ぼす影響を把握しておく必要がある。この研究では、土... 続きを読む
平成16年(2004)8月17日、嶺北地方は記録的な豪雨に見舞われ、土石流をはじめとする土砂災害が発生した。被害は負傷者2人、家屋の全壊8戸、一部損壊7戸、土砂流入2戸であった。また、大川村では土石流が多発したため、至る所で道路が寸断され、村全体が孤立した。こ... 続きを読む
安政元年(1854)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では大被害を受けた。この研究では、土佐市宇佐町を対象に、安政南海地震級(M8.4)の地震が発生した場合に現況の陸上に氾濫する津波の挙動をGISを用いて表現し、住民の避難行動を考慮した津波による人的被害予測及... 続きを読む
平成16年(2004)8月17日から18日にかけて、台風15号により停滞前線の活動が活発になり、嶺北地域で豪雨が発生し、特に大川村では土石流が多発した。大川村小松地点では、17日16時から18時に時間雨量100ミリを超す雨量が2時間続き(2時間で205ミリ)、... 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日午前10時55分、集中豪雨のため土佐山田町繁藤で起きた斜面崩壊は、60人の犠牲者を出す大惨事となった。この災害は生き埋めになった1人の消防団員を救出中に起きた二次災害であった。崩壊規模は高さ80m、幅170mで、土石量は約10万立... 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日早朝、豪雨のため土佐山田町繁藤の通称「追廻山」で山崩れが起き、家屋が埋没した。この崩壊土砂の排除中に小規模な崩壊が再度発生し、消防団員1人が土砂の下敷きになった。このため、消防団員や一般協力者が救出作業にあたっていたが、午前10時... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海地震により、虚空蔵山(こくぞうさん)で頂上の大光岩が南側に転げ落ち、虚空蔵山が真っ二つになったという噂で住民に不安が広がった。 続きを読む