29860件のアーカイブスが見つかりました。
条件:
昭和21年(1946)12月21日、南海道沖大地震が発生し、中村町では全世帯数2,448戸のうち全壊1,111戸、半壊611戸、焼失66戸、死者278人等の被害が出た。(「中村町史」による)/また、四万十川橋の落橋のほか、佐岡橋は両岸とも陥没し、後川橋は左岸橋... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海大地震により、渡川と後川を合わせて全長約14kmにわたり、最大4m最小でも30cmの沈下を生じたほか、各地で亀裂、崩壊の被害を受けた。特に渡川右岸入田堤防、後川右岸中村堤防、同左岸佐岡堤防の被害は甚大であった。一般災害で... 続きを読む
昭和47年(1972)7月、集中豪雨により、土佐山田町繁藤で山崩れが起こり、死者60人、重軽傷者7人の被害をもたらした。国道、鉄道ともに不通となった。被災写真が掲載されている。 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日、土佐山田町繁藤で集中豪雨により山崩れが発生し、救援作業中の消防団員ら60人が生き埋めの惨事となった。崩土量10万立米、20日間不通。 続きを読む
昭和47年(1972)7月、土佐山田町繁藤で大規模な山崩れが発生し、人命とともに民家、国道、国鉄の線路などを穴内川に押し流した。これを契機に国道32号の早急な防災対策が叫ばれ、昭和48年に小川防災工事が着工された。これは大豊トンネル(延長1,603m)と一ノ瀬... 続きを読む
昭和49年(1974)9月8日~9日、台風18号は特に国道32号沿いに豪雨をもたらし、土佐山田町繁藤では雨量が395ミリに達した。このため国道32号は8箇所で災害を受けた。また、土讃線が不通となり、山崩れで3人が死亡した。 続きを読む
昭和47年(1972)7月4日夜、土佐山田繁藤地区は豪雨に見舞われ、地区住民の一部には避難命令が出されていた。5日6時45分頃民家の裏山が崩れ、消防団員1人が生き埋めとなり、消防団員地元民等97人が救出作業を行っていたが、10時50分頃救出作業中の消防団員や地... 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日早朝、集中豪雨により、土佐山田町繁藤の通称追廻山(おいまわしやま)で山崩れが発生した。家屋の土砂排除などの作業中に、6時45分に2回目の山崩れが発生し、一人の消防団員が生き埋めになった。6時48分には第3回目の山崩れ、10時54分... 続きを読む
昭和47年(1972)7月5日、南国市の北部地区で豪雨となった。土佐山田町繁藤では、一日741ミリ、一時間最大100ミリ近くの豪雨に見舞われ、行方不明の消防団員の捜索作業にあたっていた消防団員ら200人のうち、二度目の大崩壊のため60人が死亡、行方不明となる大... 続きを読む