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昭和47年(1972)9月15日、集中豪雨により高知市比島町の比島山北面が突然崩れ、火災発生も災いし、犠牲者を出した。被害は、死者11人、負傷者3人、家屋の全半壊31戸、床上浸水2,292戸、床下浸水11,300戸に及んだ。 続きを読む
明治32年(1899)8月28日、暴風雨により、宇摩・新居郡は多大の被害を受けた。特に宇摩郡別子山村では足谷川流域の見花谷・両見谷・小足谷等で山崩れが発生し、死者1,000余人、家屋の埋没等500戸以上に及ぶ惨状を呈した。また、新居郡では加茂川が氾濫したほか、... 続きを読む
昭和42年(1967)7月~10月、南予地方は干ばつのため、180の水道用水施設のうち148施設(83%)が断水となり、農作物の被害額は125億円にのぼった。この年の干ばつを契機に南予用水事業が行われるようになり、平成元年(1989)に野村ダムからの通水が開始... 続きを読む
昭和42年(1967)7月10日から10月25日までの80日間の大干ばつにより、特に高山、宮野浦、田之浜地区の上水道の水源地は枯渇して、50日間に及ぶ断水状態となった。このため、飲料水は宇和町・野村町の上水道から連日トラックで運搬して給水を行った。また、農作物... 続きを読む
明治32年(1899)8月28日、四国地方に暴風雨が襲来した。東予地方では、28日午前9時頃から雨が降り出し、午後7時頃には東風が北風に変わると、風雨はますます強烈になり、山岳部では豪雨となった。宇摩郡別子山村では足谷川流域の見花谷・両見谷・小足谷等で山崩れが... 続きを読む
大正11年(1922)、南伊予村は大干ばつで、翌大正12年は大水害と2年連続の災害を被った。南伊予村村長の武智惣五郎は、大正12年に大谷川を堰き止めて大谷池の築造を計画した。大正13年に南伊予村外3ヶ村(郡中村、松前町、北伊予村)耕地整理組合を組織し、事業の推... 続きを読む
安政2年(1855)、宇摩地方は大干ばつに見舞われた。井戸は涸れ、池も底をついた。農民たちは雨乞いをしたが効果はなく、峰一つ越した銅山川に流れている水を引き入れることができればと考えた。そこで、三島・中曽根・松柏・妻鳥の庄屋たちが立ち上がり、連名で三島代官所に... 続きを読む
平成16年(2004)9月29日~30日、台風21号により、県下全域で総雨量100~450ミリの豪雨となった。特に西条市の黒瀬ダムで29日16時~17時の1時間に150ミリを観測するなどして、西条市、新居浜市など東予東部を中心に崖崩れ、土石流、河川越水等により... 続きを読む