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安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、M8.4の地震により、松山城、大洲城が破損。道後温泉も止まり、翌年2月23日から再び湧き出す。 続きを読む

寛延2年の地震

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寛延2年(1749)4月10日、伊予宇和島を震源とするM7.0の地震により、宇和島城は所々破損、矢倉も大破した。 続きを読む

貞享2年12月4日の地震

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貞享2年(1685)12月4日、伊予松山を震源とするM5.9の地震により、松山城の石垣ところどころ崩れ、道後温泉の湧出止む。 続きを読む

慶安2年の地震

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慶安2年(1649)2月5日、伊予、安芸を震源とするM7.1の地震により、松山城の石垣約36m、塀約55mが崩れ、侍屋敷、町家少々潰れる。宇和島城の石垣約210mなど崩れ、民家も破損。 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、壬生川の鶴岡八幡の社殿がことごとく陥没す。真偽不明。 続きを読む

天文2年の地震・高潮

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天文2年(1533)、伊予西条の橘神宮神社が地震と高潮により埋没したというが、他に史料なし。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、別子を直撃した暴風による大雨は、工場等の施設・人員に未曾有の大災害を蒙らせ、別子鉱業所の新居浜移転を加速させる原因となった。「住友別子鉱山史」には、同日の降水量325ミリ余のほとんどが集中豪雨となって降り注ぎ、山津波となって人... 続きを読む

享和3年の干ばつ

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享和3年(1803)、和霊宮にて雨乞い祈祷。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

寛政10年の干ばつ

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寛政10年(1798)、和霊宮にて二夜三日の雨乞い。潤雨あり大慶。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、三島川原、八幡河原、来応寺前で雨乞い千人踊。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

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