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昭和17年(1942)、梅雨は7月3日で終わり、俄雨のほかまとまって降雨がなく8月4日に及んだ。県内の雨量は80ミリ以下である。この干ばつは全国的な現象で、所々で被害を出した。 続きを読む
大正13年(1924)6月梅雨に入っても雨天少なく、7月も中頃の少量の降雨があっただけで、その後も8月15日から25日にかけて始めて雨天を見る程度であった。一部の農作物は干害に見舞われたが、水量収量には余りひびかなかった。/7月15日~17日、雨乞い。(「井内... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日4時19分頃、潮岬の南50kmの地点で大地震が起こり、津波により被害が大きかった。橘町では地震後30分ほどで津波の第一波が、その後20分後に第二波が来た。あとは30分位の間隔で5回繰り返した。津波高は3、4m。このほか、日和佐... 続きを読む
大正14年(1925)9月17日夜、台風が九州中部に上陸し、瀬戸内海を北東進した。徳島県内の雨量は100~200ミリに過ぎなかったが、吉野川上流地域で600ミリの豪雨となったため、本県で増水し、橋の流失、低地の浸水、山崩れ(鉄道事故)等多少の被害を出した。 続きを読む
昭和22年(1947)7月下旬から9月上旬にかけて少雨のため、特に干ばつとなった。8月合計雨量は日和佐0.1ミリ、宍喰4.6ミリ、椿泊8.3ミリ、鳴門3.3ミリ、板西6.1ミリ、鴨島7.3ミリ等で、9月の雨量もかなり少なかったが、水稲は全体として干害を出すほど... 続きを読む
大正15年(1926)8月、干天が続いた。その後15日から25日まで連続的な微雨となったが、雨量は月合計で30~70ミリ、徳島では14ミリに過ぎなかった。また気温も高く、大きな干ばつとなった。 続きを読む
昭和24年(1949)6月15日から21日にかけて、台風2号(デラ台風)と梅雨前線の活動により、大きな被害が出た。被害は死者4人、行方不明6人、家の全壊35戸、半壊21戸、流失4戸、床上浸水710戸、床下浸水2,358戸、田の流失・埋没884町、田は毛2,71... 続きを読む