29860件のアーカイブスが見つかりました。
条件:
昭和31年(1956)7月上旬梅雨明け後、16日にかなりまとまった雨が降ったほかは小範囲の雨が数字あっただけで、8月15日に及び、30日程度の無降雨となった。県下全般的に阿波、麻植、美馬郡等、水利の不便な地域で干天被害が起こり始めた。 続きを読む
昭和29年(1954)6月22日15時に東シナ海で発生した低気圧が、23日早朝に四国沖に東進した。この間に海部郡の海岸で150ミリを越える大雨が降った(由岐190ミリ、日和佐173ミリ)。三岐田町では山崩れのため、死者2人、負傷者1人、家全壊4戸の被害が出た。... 続きを読む
昭和29年(1954)7月30日、四国を横断する低気圧に伴い終日雷雨があり、特に13時頃勝浦川上流から出た雷雨は北東に進行して経路に大雨を降らせ、小松島で竜巻を興した。被害は全壊2戸、半壊2戸、床上浸水215戸、床下浸水1,793戸、橋2箇所、道路3箇所、山崩... 続きを読む
大正15年(1926)8月、干天が続いた。その後15日から25日まで連続的な微雨となったが、雨量は月合計で30~70ミリ、徳島では14ミリに過ぎなかった。また気温も高く、大きな干ばつとなった。 続きを読む
昭和24年(1949)6月15日から21日にかけて、台風2号(デラ台風)と梅雨前線の活動により、大きな被害が出た。被害は死者4人、行方不明6人、家の全壊35戸、半壊21戸、流失4戸、床上浸水710戸、床下浸水2,358戸、田の流失・埋没884町、田は毛2,71... 続きを読む
昭和2年(1927)6月~7月、降雨量が甚だ少なく、7月初めの連続俄雨で農作業を終えることができた状態であった。/7月24日~26日、雨乞い。(「井内谷村史」による)/6月~8月、干。(「山城谷村史」による) 続きを読む
昭和24年(1949)7月30日、ヘスター台風が三重県に上陸後、若狭湾に入って消滅した。県内の大部分では100ミリ以下の雨で終わったが、岩倉で236ミリを計測し、半田町付近で集中大雨となり、被害をもたらした。被害は死者10人、負傷者12人、行方不明2人、家の全... 続きを読む
昭和25年(1950)1月30日、発達した低気圧により、徳島で風は南17.4m、日雨量86ミリを記録した。被害は行方不明2人、家全壊2戸、田畑の流失・埋没1町、冠水103町、道路3箇所、橋4箇所、山崩れ3箇所に及んだ。 続きを読む
昭和4年(1929)7月10日の梅雨明けより8月中旬の台風来まで、中間に一週間くらいの雨天はあったが、雨量は少なく、全般に水不足となり、なお炎暑強く、平年に比べて1度位の高温となった。/干。(「山城谷村史」による) 続きを読む