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康安元年/正平16年(1361)6月24日、紀伊半島沖を震源とするM8.4の大地震により、大阪の四天王寺、京都の東寺、奈良の薬師寺、和歌山の熊野神社が大被害を受けた。また、津波により、大阪、高知、徳島沿岸に大きな被害が出た。太平記によると、徳島の由岐で1,70... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、M8.4の南海地震が起こり、津波は房総半島から九州東岸に及んだ。土佐藩主から幕府への報告によると、被害は潰家2,939軒、半潰8,888軒、焼失2,460軒、流失3,182軒、死者372人に及んだ。地盤の変動については、室戸半島... 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日午後8時頃、房総半島南東沖と室戸岬沖に2つの震源をもつM7.9の大地震が同時に発生し、これに伴う大津波が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に大きな被害を与えた。最も被害が大きかったのは四国であり、高知県の甲浦では水死者が350余人、... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日午後0時30分頃、紀伊半島沖を震源とするM8.4の地震が起き、大津波が伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸及び大阪湾、瀬戸内沿岸等を襲った。被害は高知県が最大で、浦戸湾の湾口部の種崎は全滅し死者700余人、宇佐で400余人、福島で10... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日午前8時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震(安政東海地震)が起こり、大津波が房総半島から高知沿岸を襲った。その32時間後の5日午後4時頃、同じ規模の地震(安政南海地震)が紀伊半島沖で発生し、大津波が房総半島から九州東岸にわたり... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、紀伊半島沖を震源とするM8.1の大地震が発生し、津波は房総半島から九州に至る沿岸を襲った。須崎市史によると、地震発生後約10分で津波が来襲し、その後津波は20分位の周期で6、7回来襲したようである。須崎市での被... 続きを読む
昭和35年(1960)5月23日午前4時11分(日本時間)、チリ南部沖で地震が発生し、この津波が翌24日2時20分頃から日本の太平洋沿岸を襲った。須崎に第一波が到達したのは3時40分頃であったようで、顕著な津波は4時55分から午後6時20分頃まで10数回押し寄... 続きを読む
昭和43年(1968)4月1日午前9時42分、日向灘を震源とする地震が起こり、津波が発生した。この地震と津波により、高知県では負傷者4人、家屋被害のほか、道路7箇所損壊、ハマチ網など水産施設の被害が出た。(本書所収の村上仁士「須崎の地震津波」による) 続きを読む