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文政6年の干ばつ

文政6年(1823)5月より、干ばつのため、植え付けが相整わない所が多く、雨乞い、祈祷が各所で行われた。(「松山叢談(増田家記)による)/12月19日、当夏の干ばつにより、御損毛116,258石余の御届あり。(「松山叢談(某家記)」による)/文政6年、松山領内... 続きを読む

文政8年6月の洪水

文政8年(1825)6月3日、松山で大雨のため出水し、石手川などの堤が切れ、市の坪辺りは押し流され、出合辺りは海のようになった。被害は田畑の水押・砂入2,549町12反余、百姓家の潰・半潰316軒、池の潰込・損壊753箇所、牛馬屋の潰・半潰185軒、山潰抜1,... 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)、干ばつにより、東新地方の植え付け遅れる。(「新居郡誌」による) (註)傍証なく、軽度のものか。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)5月18日より8月2日まで、雨なし。(「新居郡誌」による)/7月9日、宇和馬場で千人踊りを行い、雨を祈った。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による) 続きを読む

安政2年の地震

安政2年(1855)、地震数回あり。(「新居郡誌」による) (註)起日不明、おそらく前年11月の大地震の余震であろう。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰下刻、松山で大地震。家中に出米のうち知行100石につき15俵ずつの割合で御下げ米あり。(「松山叢談(池内家記)」による)/強震により、7昼夜地方民は兢々として安心していることができず、家を閉じて竹林に避難した者もいた。(「新居郡... 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ。12月23日、御領分、当夏の干ばつのため、田畑不熟、御損毛74,508石の御届あり。(「松山叢談(某家記)」による) 続きを読む

寛政11年の干ばつ

寛政11年(1799)夏、大に旱す。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による) (註)記事簡単、傍証なし。 続きを読む

文化元年の干ばつ

文化元年(1804)5月から7月まで、干ばつ。(「伊予風水害小史(宇和島御記録抜書」による) 続きを読む

文化3年の干ばつ

文化3年(1806)夏、干ばつ。12月22日、御領分、当夏の干ばつにより、田畑損毛高13,432石の御届あり。(「松山叢談(本藩譜)」による) 続きを読む

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