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昭和42年(1967)7月11日から10月5日までの86日間で、雨が54.2ミリしか降らず、ひどい干ばつに見舞われた。主幹作物のみかんが全地区とも枯死寸前の状態となった。井戸の新設、ポンプの増設等は国・県の補助対象となり、応急対策費は168施設1,800万円余... 続きを読む
昭和15年(1940)7月8日早朝3時頃より、雨が激しく降り出し、大島地区全域で豪雨となった。特に大山村田之浦、泊、宮窪村宮窪では激しい集中豪雨となった。このため、それまで長雨の水を含んでいた山肌、傾斜地では山崩れ、崖崩れが続出した。宮窪中央を流れる大川の堤防... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日未明、南海道沖でM.81の大地震が発生し、県下では震度4~5となり、被害は県下で死傷者58人、家屋の全半壊1,343戸に及んだ。地震後、瀬戸内海沿岸では地盤沈下が続き、その対策に追われることになった。 続きを読む
明治18年(1885)5月頃、大洪水が発生し、裏の山が崩れ、4歳の子どもが亡くなった。(「万福寺過去帳」による) なお、この時の宗方・口総・浦戸・野々江各村の被害状況が記されている。(「大三島町役場文書」による) 続きを読む
昭和23年(1948)、大干ばつのため、向側では昭和14年の干ばつに引き続いて2回目の共同耕作が行われた。総反別7町1反余のうち、3町8反余に植え付けし、67石4斗余の収穫があり、62戸の農家に分配された。 続きを読む
昭和47年(1972)8月20日~21日に集中豪雨があり、町内各所で山崩れによる土砂が河川に流れ込んで氾濫し、決壊が相次いだ。なかでも口総大川は100m余にもわたって決壊し、多量の土砂が田に流れ込んだ。また、台山田本川では上流の洪水に谷間のみかん畑が次々と押し... 続きを読む
嘉永6年(1853)5月22日から8月12日まで、夕立、小雨を除いて、雨が降らず、干ばつとなった。各所で雨乞い祈祷が行われたが、旱害がひどく、稲作皆無の所もあったため、今治藩では米麦の貸し付け、検見の延期、年貢取り立ての猶予などにより、領民の救済を図った。(椋... 続きを読む