検索結果

29860件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)4月~6月、干ばつ90日間。(「松山叢談」による) 続きを読む

天保15年の干ばつ

天保15年(1844)、日照りが続くので、大庄屋が神社に雨乞い祈祷を依頼した。(「天保十五年辰御用日記」による) 続きを読む

元文4年8月の台風

元文4年(1739)8月5日、暴風雨による洪水は損害が大きく、上難波・中通両村にわたって山崩れのため水田が埋没し、中通村では70戸余りあった家が48戸に減り、牛馬の半数が死んだと言われる。 続きを読む

文化6年の干ばつ

文化6年(1809)、大日照りで、3月から7月まで雨降らず、米大不作。 続きを読む

明治37年の干ばつ

明治37年(1904)、大干ばつのため、水田に野井戸を造り始めた。 続きを読む

昭和35年7月の豪雨

昭和35年(1960)7月7日、8日の豪雨(96.2ミリ)により、村内全域の農道・水路の決壊やがけくずれがあり、農林省災害査定で30箇所9,090千円が、建設省査定で4箇所1,470千円が査定された。 続きを読む

昭和39年の干ばつ

昭和39年(1964)7月22日より8月22日まで一滴の雨も降らず、7月~8月でわずか8.2ミリの雨しか降らず、水田、果樹のかんがい用水をはじめ、飲料水も断水状態が続いた。このため、各地区で井戸掘りや、灌水用ポンプを設置し、かんがい用水の確保に努めた。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月11日から10月5日までの86日間で、雨が54.2ミリしか降らず、ひどい干ばつに見舞われた。主幹作物のみかんが全地区とも枯死寸前の状態となった。井戸の新設、ポンプの増設等は国・県の補助対象となり、応急対策費は168施設1,800万円余... 続きを読む

昭和15年の豪雨

昭和15年(1940)7月8日早朝3時頃より、雨が激しく降り出し、大島地区全域で豪雨となった。特に大山村田之浦、泊、宮窪村宮窪では激しい集中豪雨となった。このため、それまで長雨の水を含んでいた山肌、傾斜地では山崩れ、崖崩れが続出した。宮窪中央を流れる大川の堤防... 続きを読む

昭和48年の干ばつ

昭和48年(1973)7月4日から8月14日の間、一滴の雨も降らず、7月~8月でわずか6.5ミリの雨量で、干ばつ被害があった。 続きを読む

1 2,816 2,817 2,818 2,819 2,820 2,821 2,822 2,823 2,824 2,825 2,826 2,986