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昭和9年(1934)5月以降から降雨量が非常に少なく、県下では稲の植付不能1,000町歩、遅延10,000町歩以上となった。8月末まで夏型天候が続き、大旱害となった。宮窪町では大川筋に跳ね釣瓶が立ち並び、稲田に水を汲み上げる作業が行われた。 続きを読む
寛政2年(1790)7月、干ばつにより、松山藩で米の被害が7,450石に及び、藩庁では領民に対して倹約を続けるように命じた。木浦村では「この年(寛政2年)は旱害で、夏作、秋作とも大きな被害を受けました。」(木浦村年代記)と記されている。 続きを読む