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寛政7年の干ばつ

寛政7年(1795)6月、郡中雨乞い、加茂社5俵。(「加茂社記」による) 続きを読む

文政8年の台風

文政8年(1825)6月3日、暴風雨により家屋損害316戸、堤防694箇所、道・橋1,590箇所、池753箇所、山崩れ1,024箇所、倒木338本、死傷7人、水害損毛41,421石届け出。(「松山叢談」による) 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月5日まで87日間、一粒の雨もなかった。蜜柑はやがて落葉し、枯死するものが続出した。10月3には干害非常事態宣言をして対策本部を設立した。 続きを読む

寛延4年の干ばつ

寛延4年(1751)、郡中より雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

昭和47年の集中豪雨

昭和47年(1972)9月8日午前8時30分から翌9日午前8時30分まで、今治市を中心に集中豪雨があり、菊間小学校で149ミリを記録した。この集中豪雨により、家屋の一部破損15戸、床上浸水15戸、床下浸水427戸、冠水40ha、畑の流失・埋没15ha、道路破損... 続きを読む

宝暦7年7月の干ばつ

宝暦7年(1757)7月3日、郡中雨乞い、蔵本で雨乞い千人踊り。(「加茂社記」による) 続きを読む

寛文10年の干ばつ

寛文10年(1670)、野間郡で雨乞い、大井諏訪社16俵。(「加茂社記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、松山領で干ばつ。郡方、大井寺、献珠院、大井八幡、池原金毘羅、九王竜神へ雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

昭和47年の集中豪雨

昭和47年(1972)9月8日、大西町や玉川町などを襲った局地的集中豪雨は、1日雨量が200ミリに達し、山崩れやがけ崩れが多発し、河川の氾濫や堤防決壊のため、家屋、農地、道路、河川などに未曾有の大損害をこうむったが、人命被害はなかった。この災害で、大西町は激甚... 続きを読む

昭和51年の台風17号

昭和51年(1976)9月8日から12日までの台風17号による降雨量は500ミリを超え、町内各所で山崩れ、がけ崩れ、河川の土砂による埋没、稲の鹹水、家屋の浸水、堤防や道路の損壊、果樹園や水田の流失や埋没などの大損害をこうむった。激甚災害特例法の適用を受けた。 続きを読む

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