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康安元年/正平16年(1361)、地震。地大いに震い、海わき全村蕩尽くす。(「阿波志」による) 由岐町康安地震供養碑に犠牲者60数名の戒名あり。 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日、5日、大きな地震とそれに伴う津波、地鳴り、地割れなどにより、多くの建物が倒壊した。松茂の人々は木津や大谷の山に避難し、地震が静まるのを待つほかなかった。この地震の惨状を後世に伝えるため、中喜来の三木家第九世與吉郎は「敬渝碑」を中... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、潮岬の南約50kmを震源とするM8.1の巨大地震が発生し、徳島県沿岸部で震度5を記録した。松茂では、激しい水平移動が続き、ゴーッという不気味な音とともに家が倒れ、屋根瓦が落ち、壁が崩れた。第一震がおさまった後も余震が頻発し、... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日、5日の大地震により、鯛浜村では180軒のうち75軒が潰家となった。鯛浜村では地割れの裂け目に2匹の馬が入り込み、人々が掘り出したものの、死んでしまった。また、新喜来村の庄屋宅では馬家から娘が馬を出そうとしていたが、馬家が潰れて即... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、徳命の徳元嘉平翁の話によると、西貞方の操芝居を見物に行っていたところ、地震が起こり、芝居の中は大混雑となった。そこから逃れて徳命に帰り、八幡神社前にかかると、1丈7尺の大御影石の鳥居が倒壊し、八幡宮、牛頭天王、天神宮の三社は揺り... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日の大地震により、津波が1丈4、5尺の高さで撫養に襲来し、藍田や人家に浸水し、多くの船が破損した。被害の最も多かったのは岡崎で、家が潰れたり焼けたりした。人々は近くの山々へ避難したが、岡崎では20人の流死者が、高島では子供1人... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海大地震により、市内各所で家屋の倒壊・半壊、藍田の陥没、田畑の浸水等の被害があった。最も被害が大きかったのは撫養町岡崎・弁財天方面で、倒壊家屋22戸、圧死者8人を出した。 続きを読む