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昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海大地震により、勝浦町では段々畑のミカン園の石積みや、高台で石垣をめぐらした住宅等に被害が出たが、詳細な記録はないので、それほど大きな被害ではなかったのではないか。ただし、横瀬町では横瀬橋、坂本橋、伝染病院などの復旧費1,... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日午前4時頃、紀伊半島沖を資源とするM8.4の大地震が起こり、大津波が発生した。大阪、高知、徳島沿岸で大きな被害が出たが、海部郡の由岐では1,700戸の家屋が流失し、60余名が流死した。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日午後8時頃、房総半島東沖と室戸岬沖の2つを震源としたM7.9の地震が同時に起き、大津波による被害が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に及んだ。徳島県では宍喰で1,500余名の犠牲者を出す被害となった。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午後0時30分、M8.4の地震が紀伊半島で発生した。地震及び津波による被害は各地に及び、被害総数は家屋の破壊29,000戸、死者4,900名にのぼった。このうち高知の被害が最大で、ついで和歌山であった。高知の「谷陵記」によると、徳... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日の朝方と夜に地震が起き、5日夕方大地震が発生した。午後5時半頃から火災が発生したため、近隣の者が総出で消火活動をしていたところ、津波の噂が出て人々が逃げたので、小松島浦の7割方は焼き尽くし、朝方の6時頃に鎮火した。人々は土地の高い... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、大地震により、海部郡では津波が2丈4尺に達し大荒れであったが、平島村でも海岸沿いでは多少の被害が免れなかったのではと思う。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午後4時から地震が始まり、翌5日は最も激烈で、人々は家にいたたまれず、籔に逃げるもの、庭前に小屋をかけてわらを敷いて露宿するものもあった。また、海辺の中島上福井や工地では4日夕の大地震に引き続いて、津波が5、6度来た。翌5日午後4... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝、大地震が起こり、その日は大震、小震が続いた。5日七ツ時(午後4時頃)には大震動となり、夜五ツ半(午後9時頃)には最もきびしい揺れ方で、小便壷もざぶざぶ揺れ、家の軒端も地につくように見え、木樹の穂先は地を掃くかと思い、鶏は庭に転... 続きを読む

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