29860件のアーカイブスが見つかりました。
条件:
昭和19年(1944)12月7日、熊野灘がM8.0の大地震が起こった。津波は伊豆半島から紀伊半島沿岸を襲い、被害は熊野灘沿岸で特に大きかった。徳島でも日和佐で2mの高さの津波を記録したが、被害はなかった。この時は戦時中であり、報道管制のため地震津波の被害は僅少... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、紀伊半島を震源とするM8.1の南海地震が起こった。小松島市では、この地震によって各地で地盤変動が起きたが、特に地盤沈下が激しく稲作ができなくなった金磯新田は、その後30~35cm盛土を行った。この地震・津波の規... 続きを読む
平成7年(1995)1月17日午前5時46分、M7.2の内陸直下型地震が神戸市を中心に起こった。徳島県内では鳴門市で家屋などが被害を受けた。小松島でも道路、塀、家の壁などに小さな亀裂ができた。この震災では、被災者のモラルの高さやボランティア活動の活発化などが話... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日未明、紀伊水道を震源地とした南海地震が起こった。渭東地区では神社の灯籠が倒れた程度で、家屋の倒壊、人畜の被害はなかったが、壁に亀裂を生じない家はなかった。地盤沈下は30~50cmに達し、塩害をこうむった水田は少なくなかった。住... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日午後5時頃、地震が起こったため、地面は裂け、水が噴出し、倒家も多かった。その上、津波が来るとのことで、村民は皆狼狽した。藪中に避難して野宿する者もあれば、板東方面まで落ち延びた者も少なくなかった。しかし、津波は陸地まで達せず、川中... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、紀伊半島西南沖を震源とした地震が発生した。津波も起こり、浅川などは全滅の被害を受けたが、応神村では家屋の損傷が甚だしかったものの、人畜の被害は免れた。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時半、大地震が起きた。冷田川の下流から、約3mの高さの高浪が上流に向かって遡ってきた。通り過ぎた後は、川一杯に河水がみなぎって、堤防の頂上すれすれにあふれんばかりであった。この地震で、八万一帯は40cm地盤沈下し、2年後... 続きを読む
康安元年/正平16年(1361)6月18日巳ノ刻より10月に至るまで、大地夥しく動き、止むことがなかった。殊に阿波の由岐湊では大山のような潮が来て、在家1,700余が悉く引き潮に連れて海底に沈んだ。家々の僧侶、男女、牛馬、鶏犬一つも残らず底の藻屑となった。 続きを読む