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宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、阿波も大いに震い、海潮により家は流れ、人は溺れ、田んぼは損壊し、堤塘、石壁は崩壊した。地震により、徳島士屋敷230軒、民屋400軒が潰れたが潮入はなかった。奥浦は無事であったが、橘は半ば亡失、由岐は溺死が多く、浅川では多くの... 続きを読む

享保13年の地震

享保13年(1728)9月1日、大地震、津波が起こり、2日まで宮島浦、平井志村南牛飼並びに沖島田等に潮が入り、稲作の被害が多かった。(平石の鈴江龍太郎家所蔵年代記抄による) 続きを読む

寛政元年の地震

寛政元年(1789)、阿波で大地震あり、市内寺町の墓石が倒れた。 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日、南海地震により、地盤沈下が起こった。沿岸地区の農地300余町歩が耕作不能となったため、復旧対策として客土事業を施行して農地を復元した。災害時の写真あり。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日未明4時19分に南海道地震が発生した。海岸地方は大津波が7回来て大災害になったが、方上地区ではほとんど被害はなかった。大谷一里松の灯籠が倒れ、少し家の損壊があった程度である。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日の大地震で、撫養地方は大いに震い、徳長から鯛の浜まで約2里の間、大地が2尺程割れ、人家に洞穴があき、死人が多く出た。また、津波が1丈4、5尺の高さで撫養に襲来したため、人家、塩田の多くが浸水し、多くの船が破損、流失した。被害... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、大地震により、海部郡では津波が2丈4尺に達し大荒れであったが、平島村でも海岸沿いでは多少の被害が免れなかったのではと思う。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午後4時から地震が始まり、翌5日は最も激烈で、人々は家にいたたまれず、籔に逃げるもの、庭前に小屋をかけてわらを敷いて露宿するものもあった。また、海辺の中島上福井や工地では4日夕の大地震に引き続いて、津波が5、6度来た。翌5日午後4... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝、大地震が起こり、その日は大震、小震が続いた。5日七ツ時(午後4時頃)には大震動となり、夜五ツ半(午後9時頃)には最もきびしい揺れ方で、小便壷もざぶざぶ揺れ、家の軒端も地につくように見え、木樹の穂先は地を掃くかと思い、鶏は庭に転... 続きを読む

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