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安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、「四つ時大地震、去虎霜月五日よりも大なり。尤少の間震し故、格別痛損なし、然共松山、今治辺多分の痛に候、当村(井口村)にても森川辺格別大震なり」。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む

明応7年の地震

明応7年(1498)6月11日、伊予で地変(M7~7.5)。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海道大地震。震度4、死者27人、負傷者28人、家屋全壊1,133戸。(「愛媛県地域防災計画」による) 続きを読む

慶長元年の地震

慶長元年(1596)7月12日、地震(M7.0)により、伊予薬師堂(松山市余土)の本堂・壬生門倒れる。 続きを読む

推古13年の地震

推古13年(605)、地震により、道後温泉没す。(「俚諺集」による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、地震(M7.7)により、山崩れて泉脈塞がる。道後温泉一時湧水止まる。 続きを読む

天武天皇13年の地震

白鳳13年(684)10月14日、地震。天下大震し、人多く死す、山崩れ、海に入り、温泉没す。(「俚諺集」による) 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により、温泉塞がる。松山城主蒲生忠知命じて湯神社に祈祷する。 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大震災の時、海上荒れて大波打ち来たり、田畑や人家が流失し、人も多く死んだ。その荒れた果て土地を領主加藤嘉明の命によって奉行徳本三郎兵衛が開墾したのが三津屋である。(「多賀村郷土誌」による)また、この地震で道後温泉の湧出が止ま... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、大地震により今治城所々破損。(「国府叢書」による) 続きを読む

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