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嘉永2年(1849)7月10日、酉の水または阿房水。/7月8日大風雨、11日に至る水城下に溢れ人家漂没す。藩士の録10分の3を収むるを免じ、吉凶の礼を簡にし冗費を省かしむ。(「蜂須賀家記」による)/三好郡内で死者250人、7月27日までに死傷者980人。(「三... 続きを読む
大正4年(1915)9月8日午後、台風が大隅半島から上陸して、同夜北九州を通り、朝鮮東岸に沿って進んだ。徳島県では3日から本格的な雨が8日まで続き、特に6日以降に大降りし、那賀川上流では600ミリに達したが、吉野川流域では200ミリ程度で少雨だった。大きな洪水... 続きを読む
昭和8年(1933)8月3日、台風のため、日雨量は横瀬318ミリ、朴野243ミリとなり、吉野川流域では100ミリ程であった。この台風による水害は堤防・道路の小破損に止まった。 続きを読む
昭和40年(1965)3月16日午後、強い寒冷前線が四国地方を通過し、強風と大雨を伴った。また、太竜寺山の杉と無線柱に落雷し、3時間にわたり延焼した。阿南市では小豆大、木頭ではラムネ玉大の降雹があり、葉タバコに被害が発生した。剣山では雪崩が発生し、測候所の技官... 続きを読む
昭和53年(1978)3月9日~10日、低気圧が発達しながら日本海を通過したため、徳島で最大瞬間風速南南東23.2m/秒を記録し、鳴門市沿岸のノリ及びワカメ養殖に被害があった。被害額は6億2,200万円に達した。(県農林水産部調べ) 続きを読む
明治16年(1883)、干ばつ。10月20日、麦一粒も食わず、西井川の人々万じゅ沙華の根を掘る。(「辻風土記」による)/村民雨乞いのため神社に祈る。わらの餅を食う。(「大俣村誌」による) 続きを読む
昭和57年(1982)8月9日14時頃、徳島市内を中心に激しい雷雨があり、高圧線トランス等に落雷した。徳島市内では6,800戸が停電し、信号機17箇所に異常が発生した。 続きを読む