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明治6年の台風・干ばつ

明治6年(1873)、暴風雨、洪水、干ばつになった。(災害年表) 続きを読む

寛永元年の干ばつ

寛永元年(1624)、讃岐は大干ばつに襲われた。西嶋八兵衛の「由緒書之控」によれば、「寛永元子の年、大日焼けにつき讃岐寒国になり申し候」という悲惨な有様であった。 続きを読む

文化5年の干ばつ

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文化5年(1808)、干ばつ。文化元年(1804)から文化6年までの干ばつにより、大窪池掛かりも干害を蒙り、池の増築の要望が高まった。その要望は水掛かりの政所から鵜足郡大政所を通じて、高松藩庁に伝えられ、文化7年(1810)に高松藩の藩普請として大窪池の増築工... 続きを読む

文化6年の干ばつ

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文化6年(1808)6月~8月、大干ばつ。文化元年(1804)から文化6年までの干ばつにより、大窪池掛かりも干害を蒙り、池の増築の要望が高まった。その要望は水掛かりの政所から鵜足郡大政所を通じて、高松藩庁に伝えられ、文化7年(1810)に高松藩の藩普請として大... 続きを読む

平成6年の干ばつ

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平成6年(1994)、渇水に見舞われた。大窪池に関係する地域では、7月12日からかんがい地区を法勲寺、川原・真時、西坂元の3地区に分け、3日に1回か、4日に1回のかん水になるように役員や田子が水の配分に尽力したので、その結果として収穫量の減収は少なかった。 続きを読む

正保2年の干ばつ

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正保2年(1645)、干ばつのため、領主松平頼重は新しく池を造るように命じた。矢延平六は正保年間に三谷池と楠見池を合わせて一つにし、中堤を除きその土で周囲の堤防を高くして現在のような楠見池にした。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつ。8月26日現在の県下の被害田は20,177町、枯死田は1,081町と報ぜられている。干ばつの応急対策の一つとして、8月29日午後1時から善通寺山砲隊が摺臼山から大麻山射撃場に向け、山砲5門で300発の実弾射撃を実施した。また、8... 続きを読む

昭和14年の干ばつ

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昭和14年(1939)、大干ばつ。この年の干ばつを契機に、平田兵七は同年12月に宝池の増築に着手し、翌年5月に竣工した。 続きを読む

寛永3年の干ばつ

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寛永3年(1626)4月から7月中旬にかけての3ヶ月余り、讃岐には一滴の雨も降らない大干ばつであった。田は白くひび割れが生じ、稲の収穫は皆無、餓死する者多数と、古い記録は伝えている。当時、高松藩主生駒高俊は伊勢から西嶋八兵衛を招き、藩内でため池築造を進めていた... 続きを読む

正保2年の干ばつ

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正保2年(1645)春から秋まで、雨が降らずに未曾有の干ばつとなった。このため、高松藩主松平頼重は家臣矢延平六らに命じてため池406を築かせたが、その一つが大窪池であった。領内の池は従来の960と合わせて1,366になった。 続きを読む

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