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享保11年の干ばつ

享保11年(1726)夏、二州大干且つ蝗、傷米96,090石。(「阿波志」による) 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)5月下旬より雨6月17日まで、18日より天気46日目の8月4日夕立。この間に雨乞い。8月6日7ツ時大夕立、以後また天気、9月6日まで80日干。稲6、7分作。(「元木文書」による)/金ぴらへ貰い水、山で大火たき雨乞い。(「木頭村誌」による) 続きを読む

元文5年の風雨

元文5年(1740)7月1日、大洪水損亡51,430石余、山崩れ圧死男4人、女2人、流死牛1頭。(「徳島県史料年表」による)なお、「徳島県史料年表」によると閏7月1日となっているが、同日は越前、美濃に風雨あり、7月1日は讃岐が風雨なので、7月1日とする。 続きを読む

天保6年5月の風水害

天保6年(1835)5月13日、14日、大雨、21日朝より極大雨、朝一番鳥の頃、水枕に相成り。川筋一円大いたみにて流れ物多、損田流失砂入、近代の大いたみの由、瑞巌寺山潮にて2尺ばかり入る。(「元木文書」による)/5月15日、21日~22日、風水害、39,280... 続きを読む

寛延元年の干ばつ

寛延元年(1748)6月~8月、干ばつ。/干天17日に及ぶ。(「野村文書」による) 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

寛延元年の風雨

寛延元年(1748)7月22日夜半より北東から北風吹き、雨も中水となった。北方は50年来にもない大水、山潮といい、牛馬、人等大分流れ、この海沖には流れてきた。(「野村文書」による) 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)夏、大干、数月に亘り野に緑色なく、草木枯死せんとす。郡民困苦、雨乞いに奔走。(「名西郡誌」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)6月~8月、大干、禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/6月~8月、御国干ばつ、107,636石余損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)5月22日~7月2日、大干。(「名東郡誌」による)/3ヶ月雨なし。(「大俣村誌」による)/雲早山で大雨乞い。(「佐々木氏覚書」による) 続きを読む

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