検索結果

29860件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

昭和12年の干ばつ

昭和12年(1937)8月、県内山地では100~200ミリの降雨に恵まれたが、海岸及び吉野川流域では甚だ少なくほとんど50ミリ以下であった。徳島では24.0ミリであった。/ほとんど米収なし。(「大俣村誌」による) 続きを読む

明治32年8月の台風

明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む

昭和13年の地震

昭和13年(1938)1月2日0時12分、田辺沖で地震が起こり、徳島県の大部分の最大震度は5であった。壁に割れ目が入る等の家屋の小破損が出た。 続きを読む

明治39年の干ばつ

明治39年(1905)8月、干ばつ。徳島の8月降水量は21.2ミリで、少雨として第4位である。9月に時々雨があり、水稲の収穫は並となった。 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月、梅雨期に入っても雨は少なく、7月も乾天の日が多く続き、小松島では月雨量が2ミリに過ぎず、徳島の15.7ミリも7月としては第2位の少記録となった。8月18日以降の降雨により干ばつ被害を軽減することができた。水稲収量は非常に悪いという程で... 続きを読む

寛延元年の風雨

寛延元年(1748)7月22日夜半より北東から北風吹き、雨も中水となった。北方は50年来にもない大水、山潮といい、牛馬、人等大分流れ、この海沖には流れてきた。(「野村文書」による) 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)夏、大干、数月に亘り野に緑色なく、草木枯死せんとす。郡民困苦、雨乞いに奔走。(「名西郡誌」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)6月~8月、大干、禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/6月~8月、御国干ばつ、107,636石余損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)5月22日~7月2日、大干。(「名東郡誌」による)/3ヶ月雨なし。(「大俣村誌」による)/雲早山で大雨乞い。(「佐々木氏覚書」による) 続きを読む

明和4年の干ばつ

明和4年(1767)夏秋、大干、傷禾。(「蜂須賀家記」による)/6月、7月中、御国干ばつ、77,000石余御損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

1 2,392 2,393 2,394 2,395 2,396 2,397 2,398 2,399 2,400 2,401 2,402 2,986