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昭和29年(1954)9月13日、台風12号(ジューン台風)により、山間部で短時間に大雨となり、所々で決壊し、三好、美馬、麻植郡等では家の全壊・流失等を出した。この台風による最大高潮量は小松島で65cmだった。被害は死者9人、負傷者8人、行方不明1人、全壊13... 続きを読む
昭和25年(1950)5月27日、太平洋岸沿いを進んだ低気圧による豪雨のため、椿泊-川上の線で雨量が250ミリ程度となり、水害となった。被害は家の全壊13戸、半壊3戸(以上、橘町)、床上浸水26戸、床下浸水126戸、田の流失・埋没11町、冠水540町、道路17... 続きを読む
昭和29年(1954)9月18日、台風14号(ローナ台風)により、住家の全壊1戸、半壊1戸、床下浸水5戸、田冠水10町、道路1箇所、堤防5箇所、崖崩れ6箇所の被害が出た。 続きを読む
昭和7年(1932)9月2日から16日までほとんど連日の降雨となり、毎日の雨量は非常に多いという程ではなかったが、合計雨量は200~350ミリとなり、海部郡では被害が出た。また、東祖谷山村では13日来数回の山崩れがあり、県道10m余り崩壊して数日間交通途絶した... 続きを読む
昭和9年(1934)9月9日、台風が有明海から山口県に抜けた。雨は那賀川上流の山地で多く250ミリを越えたが、5日の150ミリ程度も加わって河川は増水し、道路・護岸の決壊、三好の山崩れのほか、農作物にも被害が出た。 続きを読む
明治27年(1894)7月26日から8月末までの徳島の降雨量は24.5ミリで、近国もすべて干ばつに苦しんだ。同時に6月~8月は驚異的な高温となり、月平均気温は平年値より2度位の高めとなった。/水争い。(「中野島村史」による)/137日干。(「山川町史」による)... 続きを読む
昭和12年(1937)8月、県内山地では100~200ミリの降雨に恵まれたが、海岸及び吉野川流域では甚だ少なくほとんど50ミリ以下であった。徳島では24.0ミリであった。/ほとんど米収なし。(「大俣村誌」による) 続きを読む
明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む